「福祉について」~カンちゃんの場合
【登場人物】
カン(貫四郎):定職なし。小学校中退。どこかで日銭を稼いで『満貫
堂』に居候する。
スー:カンの妹。ポンの妻。『満貫堂』店員。
ダイサン:カンの叔父。ラーメン屋『満貫堂』店主。
ちーちゃん:ダイサンの妻。カンの叔母。
ポン:スーの夫。一般的なサラリーマン。
先生:老人ホームの園長。カンの恩師。
ジュン:売れない女優。旅先でカンと知り合う。カンが好き。
・・昼の営業が終わった「満貫堂」店内
ちー「また、この近くの団地で、孤独死だってさ。ほんと、哀れなもんだねえ」
ダイサン「昔は、自分の家で、家族が枕元にいて死ねたんだがなあ・・
もう、そんなご時世じゃねえってことかね」
スー「福祉って、掛け声だけなのかしら、ねえ、カンちゃんはどう思う」
・・窓際の席で頬杖をついて外を見ているカン
カン「フクシ?なんだいそりゃ?そんな頭の痛くなるようなこと俺に聞 くんじゃねえや。先生にでも聞いてこいよ。毎日、年寄りの面倒見てんだからよ」
ダイサン「カンに聞いても、ハナっから話にならねえな」
スー「たとえばね、カンちゃんに好きな人がいたら、その人のこと大切にしたい、守ってあげたいって思わない」
カン「そりゃあ、男なら当たりめえよ。好きな女につらい思いさせる男がどこにいるってんだ。いいか、スー。男はよ、好きな女ができたら、そいつに好きなもんをたらふく食わせてやりたい、そう思うとよ、男はメシ代を稼ぐために、額に汗して働きに働くんだ。そして念願の給料日。金を握りしめて、女と食事に行く。一帳羅の背広なんか着てな。男は晴れ晴れしい顔で女に言うんだ。『さあ、お前の好きなものを好きなだけ食べていいんだぞ』・・女給のおねえさんがテーブルにいろんな料理を運んでくる。女は、あまりの嬉しさに胸が一杯になってメシが食えねえ・・『何遠慮してんだ、金なら心配すんな』・・女の好きな一品を小皿に取ってやって『さあ、冷めないうちに食べよう』って渡すんだ。これがフクシってもんじゃねえのかい」
スー「カンちゃん・・」
カン「どうだ、スー。お前もポンに好きなもんたらふく食えって言われりゃうれしいだろ」
スー「うん・・」
カン「なんだ、そのツラ。嬉しかねえのか」
スー「そうじゃないのよ、いくら好きな食べ物でも、そんなに食べたら太っちゃうじゃない。やあね、カンちゃんたら」
ちー「スーちゃんの言うとおりだよ。女にはね、いくつになっても恥じらいってもんがあるんだからね」
カン「じゃあ、ちーちゃんには、恥じらいってもんがねえんだな」
ちー「どうしてだい」
カン「正直に言っていいのか」
ちー「言ってみなよ」
カン「じゃあ言うよ。そんなにプクプク太ってよ、何をたらふく食ったんだろうねえ」
ダイサン「おい、カン、俺の大事なかかあに何言いやがる!」
カン「じゃあ、ダイサンはちーちゃんに好きなもん、たらふく食わしてやったことがあんのか」
ダイサン「ふん、そんなことあるに決まってるじゃねえか。見損なうなってんだ」
カン「そうか、ちーちゃんに恥じらいまで捨てさせて太らせたのは、ダイサンのせいなんだな」
ダイサン「この俺が悪いってのか!聞き捨てならねえな」
カン「あーあ、これだから学のない人は困っちゃうねえ。僕にはわかってますよ、ダイサンのおっしゃりたいことくらい」
ダイサン「だったら、言ってみやがれ」
カン「フクシのフクは、ダイサンの好きな『ふくよかな女』のフクだろ。ちーちゃんを見てみなって、フクよかじゃねえか。こっちまで幸せな気分になるってもんよ。だけどよ、ダイサン。女の好みでフクシを語っちゃあダメだね。今からでも遅くはねえ、フクシという全うな学問をしてだな、自分を磨いたらどうだ」
スー「ぷっ・・くっく・・(笑いをこらえながら)・・でも、人が人を愛おしいって思うことが本当の福祉よね」
ちー「そうだね、なんだか胸がジーンとなっちゃうんだよね」
ダイサン「カン、お前の福祉は、この満貫堂だってことが身に滲みるだろ、ハッハッハ」
カン「偉そうなことぬかすな!この老いぼれが」
ダイサン「なんだと、この小学校中退が」
スー「ふたりともやめなさいよ。せっかく福祉なんていい話してるのに」
カン「だよな。そうだ、この店のラーメンにも、明日っから、フクシとやらを隠し味に入れたらどうだ」
ポン「福祉は人の心に芽生えるものですからねえ、もう充分入ってるんじゃないかなあ」
ダイサン「よく言った。ポンは分かってるねえ、誰かさんとちがってよ」
スー「ジュンさんが、うちのラーメン、気持ちまで温まるって喜んでくれてたわね。今ごろどこで何してんだろうね、ジュンさん・・」
カン「スー、ジュンのことは言わねえでくれよ。あいつはよ、フクシってもんには縁のねえ売れない役者だからな・・(うなだれている)」
・・いきなり店の戸が開く。笑顔のジュン。
ジュン「カンちゃん!」
カン「え、あっ・・ジュンじゃねえか」
ジュン「そうだよ!忘れちゃったのかい。会いたかったよ」
カン「俺だってそうよ、おめえ、どこでどうしてたんだ。電話の一本もよこさねえで。元気だったか」
ジュン「キャー、カンちゃーん!」
・・カンの首に抱きついて両頬にキスするジュン
カン「あ・・え・・おい・・みんなが妬くじゃあねえか・・」
ジュン「今度さ、ひと言だけどセリフの付いた役をもらったんだ。嬉しくってさ。そしたら一番にカンちゃんに知らせなきゃと思って、急いで来たんだ」
・・正気に戻って笑顔のカン
カン「そうかい、大女優への道が見えたってことか」
ジュン「そんな大それたことじゃないよ」
カン「でも、よかったなあ。これまで、お前も苦労したからな・・」
・・二人の様子を見ているスー
スー「カンちゃんの福祉は、ジュンさんね。あんなにうれしそうだもん」
ちー「そうだねえ」
・・咳払いをして、満貫堂の皆に向かうカン。
カン「突然ではございますが、この場にご臨席の皆様、ジュンが大女優 への道を歩き始めます。今夜はその前夜祭ということで盛大に飲もうではありませんか」
ダイサン「いいねえ、パーっとやろう。おめえの福祉だからな、ジュンさんは」
ジュン「ありがとう、皆さん。私、頑張るからね」
カン「ジュン、今夜はお前のための夜だぞ。いいか、覚えとけ。これをフクシっていうんだ」
福祉って金銭面的な事だけじゃないんだなと、劇団の舞台を観ている様な雰囲気で心に伝わって来ました。
誰かを大切に思う。大切な人を守りたいという気持ちが福祉の始まりなのかと心が温まる中で考えさせられる物語だと思いました。