ぼくは“上の子”なので
かまってもらえなくても我慢します
“下の子”が眠って、お膝があいたときに
ぼくもお膝にのせてもらえるかな
ぼくは“上の子”なので
“下の子”を守ります
何かあっても、動揺はおしころし
大丈夫だよって伝えます
僕は“明るい”ので
怖い時も、悲しい時も、辛い時も
笑える皮肉や冗談事にしてやります
笑わせて、笑って 気持ちをほぐします
僕は“強い”ので
自分のことは自分で決めます
判断の過程、結論も行動もすべて僕の責任です
どうなろうと弱音ははきません
僕は“優しい”ので
無茶は言いません
愛する人が忙しいというなら、余裕ができるまで待ちます
じっとじっと待って
心に浮かぶ感情は体の奥底にしまい込みます
でも、そんな“僕”どもは本当の僕ではありません
伝えてこなかった感情が今になって僕を蝕みます
結局、僕は子供のころのままでした
同じ渇望を抱えているだけで成長していなかった
どうしたら伝えられる人間になるんでしょうか
どうしたら自分を助けてやれるんでしょうか
わじまさん、こんばんは。
「前進」と併せて公開してくれた、こちらもまた私にとっての感動作でした! 作者の優しい人柄を思わせます。 本当に優しい人って、どんな人をいうのかを、私は考えずにはいられません。 我が身をさしおいて、誰かのために尽くそうとする人は尊いし、美しい振る舞いだとも。 詩の主人公は、その優しさゆえにずっと自分のわがままを抑えて生きてきた。 そして今、"僕" は言う。
>でも、そんな“僕”どもは本当の僕ではありません
>伝えてこなかった感情が今になって僕を蝕みます 誰かのために尽くすのと同じように、自分のために、自分自身のために、尽くしてほしい ...
>どうしたら伝えられる人間になるんでしょうか
>どうしたら自分を助けてやれるんでしょうか
あなたが、詩を書いた、書いているという、一つの意義がここある。 この広い地球上のどこかの、誰かが、その詩に出会って、詩の心を分かる人がいる。 自分のことを分かってくれる人が必ずいると信じて進むことが、そのまま自分を助けていくのだと、私は思ってるんですよ。
ゆめの
わじま様 こんばんは
はじめまして
詩拝読させて頂きました。
「結局、僕は子供のころのままでした
同じ渇望を抱えているだけで成長していなかった
どうしたら伝えられる人間になるんでしょうか
どうしたら自分を助けてやれるんでしょうか」
一番上の子だから何でも我慢して一番良い子でいなくては…そんな我慢をとても切なく思いましたが、実際下ができると、あなたは上だからとよく聞く言葉です。
それを抱えて大人になった今、そんな自問自答を成長の中で消化しようとする
その優しさは子供のころ我慢した優しさと変わりないのではなく、成長した優しさなのでしょう。
そんな優しさに心ひかれたUUXでした。