「三」は滅んだ。
奇数であり続けることを拒否した。
偶数を目指す過程で消滅した。
「三」は非偶数となったに過ぎなかった。
さらなる願望を成就することはできなかった。
「三」は「二」に対抗する意識をもっていた。
「二」が無限に分け与えられる力を持つと思っていた。
自分は奇数としての矛盾を抱えていると感じていた。
偶数を目指したのはそのためだった。
彼はたしかに「二」と対立するものだった。
結局「二」と同じものにはなれなかった。
彼はあるいは「六」にはなれたかもしれない。
倍数である「六」は彼の興味を惹かなかった。
あくまで「二」を目指した彼は偶数になることに失敗した。
彼が三である自分を切り離そうとした瞬間、彼は形を失い空虚と化した。
「三」はあくまで「三」でありそれ以上でもそれ以下でもなかった。
彼がこの事実を受け入れることができていたら、滅びることはなかっただろう。
けいとさん、こんばんは。
命が吹き込まれたかのような、奇数の「三」は、憧れの偶数「二」にならなければならないという思い込みに囚われ、それを使命だと信じて奮闘するも、望み叶わず自らその命を絶った …!
あたかも、今も昔も変わらない、人間社会の現実において、憧れという名の下に、洗練されないままに、燻り続ける競争意識の闇を見たような錯覚を抱きました。
「三」はあくまで「三」でありそれ以上でもそれ以下でもなかった。
人もそうだな.....
“人は人、自分は自分” と、たとえささやかな自信だったとしても、私は自分を信じたい、死ぬまで負けず嫌いな自分でありたいと、この詩を読んで、そう叫んでる私がいました。
今回も、けいとさんの詩に考えさせられました。
感謝しています。
ゆめの
けいと様
こんにちは
とても難しい詩でしたがUUXはこんな風に感じました。
優れた人がいると、その人のようになりたいと思う。
しかしその人には自分にない備わったもの(特技)があり、いくら頑張ってもその人と同しにはなれない。(それはその人だけに備わったものであるから)
それでも頑張ってみようと思うのはやはりあこがれるから…
そしてその人と同じになれないと気づいた時急に疲れがでて凹んでしまった。
その人にはその人の、そして自分には自分に備わっているものを、生かしていくことが一番ベターではないかと…気づいてやがてたちあがるであろう…そんな気持ちになりました。