昔々、人々は星に願ったという胸の前で手を組み瞼を閉じて願ったというしかし星が見えなくなり流れなくなり人々は願う事を忘れ今に至るらしい星の種を荷積めする手は何度も抑え込まれた振り払って振り払ってそれでも足りなかった打ち上げられたロケットは定められた地点で種をこぼす放たれた銀の珠は熱を帯び爆ぜ亜空の口を開ける空は眩い光を放つ数多の星を吐く天上を指差す人々の手は自ずと胸へ移り惑星はねがいで溢れる
-インフォメーション-
システムに起因した、いいねアクションの不具合・不整合が認められております。
皆様には、コメントメインに交流されますようお願いいたします。 2024.8.25 20:17
こんにちは、クロエと言います、よろしくお願いします。
この詩を読んで、星たちも生きているって感じました、私たちの時間よりはるかに長い時間をかけて、生まれては消えてを繰り返している、今日もどこか、何万光年も離れた遠い宇宙で、何処かの星がガスになり、やがてそのガスがまた集まって星が誕生する。
私たちもいつかまた生まれ変わって新しい人生を歩むのかな・・・。
孤海さんへ
「昔々、人々は星に願ったという
胸の前で手を組み
瞼を閉じて願ったという」
第一連目から、神々しくも、ロマンチックな世界へいざなわれていくようです....
人間が、地上に生まれたのは、星に願いをかけ、その願いが叶うよう祈るため。 それが人間の本来為すべき仕事であったはず .... でも、
「しかし星が見えなくなり
流れなくなり
人々は願う事を忘れ今に至るらしい」
人々は今、為すべき仕事を放棄している。 忘れたのか? いやわざと思い出そうとしないのか、隣国との戦いに心奪われ、人の道を踏み外してしまった ....
"星の種を荷積めする手" とは、タイトル "星の施し" のことですね? または作者のように、心ある人、あるいは心ある詩人たちの愛、慈悲の行為とも言えましょうか。
彼らの、深い憂いと思いをこめて書いた、一つ一つの詩こそが、無数の "星の種" だと思うと、感動で心が震えます!
人間が本来あるべき姿 ... それは、ただ純粋に星に願うことであると、この美しい一篇の詩が、教えてくれたように、私には思えたのでした!
ゆめの
孤海さん、こんにちは。
人知れずとも誰かのために働く人の姿が浮かんできました。
自分もそうありたいのかもしれません。
孤海さんへ
街行く人の多くが、スマホを見て歩いていますね。
古来、星によって自分の位置を確かめてきた人々。
星が見えなくても、分からなくても、現在位置がわかる現代人は、それで安心なのでしょうか・・
その安心は、本当の安心なのでしょうか・・
「天上を指差す人々の手は自ずと胸へ移り
惑星はねがいで溢れ」ますように・・
人々の行く先を、星が示してくれることを、気付けますように・・