自分を罵るのが、何とも楽しい、
こんなにも自分を愛しているはずなのに、何故?
私は自分が好きである、半ば他人と感じる程、
顔も美しい、好きである、
声も心地よい、好きである、
首も綺麗、好きである、
肌も白い、好きである、
瞳も大きい、好きである、
心構へ、斜に構え、人の物をあたかも自分の物のようにあらわす心構へ、
嫌いである。私は私の心が嫌いである。
一を否定されただけで十を否定されたやうな気持ちが嫌いである。
人を愛し、愛されたいと言ふ割りには、独りよがりの自分を躾けない自分が嫌いである。
私は、身と心が離れ離れである。
私の心は身を愛し、私の身は心を嫌う、
私の身が私の心を罵り、病んだ心に鏡に映る我が身を見せる、
何とも美しい。これが私か。錯覚する、映るのは私ではなく傀儡なのに、
私の身は元の心の主へ、私の心は元の身の主へ、戻ることを願ふばかり。
作中に他人は1度たりとも登場せず、自己対話を貫き続ける。そこにやはり「独りよがり」な内面が現れているような、あるいはただ余裕のないような……
誰もがはたと自分事のように思える部分があるだろうし、また、自分の容姿に自信があるだけでも羨ましいという人も居るかもしれません。繊細なタッチで描かれる心根の形に惹かれる、うつくしいしでした美しい詩でした。この詩に出会えて光栄でした。